タラズ (Taraz)
トランスオクシアナでも最古の町の1つで、紀元前1世紀、匈奴によってこの地に短期間ではあるが砦が作られた. 紀元前36年、タラス河畔で郅支単于は漢に敗れた. 2001年に町の創立2000年を祝った. 6世紀以降は突厥(その後、西突厥)の領地となり、当時、南カザフスタンを通っていたシルクロードの主要な交易拠点の1つとなる. 751年には、唐とアッバース朝の間でタラス河畔の戦いが、タラス川(現在のキルギス領内)で闘われた. (キルギスの都市・タラスを参照のこと). 11世紀にはカラハン朝の都となり繁栄を迎える.
19世紀初頭にコーカンド・ハン国の支配下に入り、町が拡大、春には大きな市がたち家畜や農産物の売買の中心地となる. 1856年にはアウリエ・アタ(「聖なる父」の意)と呼ばれるようになる. 1864年、ロシア帝国軍に包囲されると陥落、シムケントと結んでロシアの重要な軍事戦略拠点となる. ロシア風の新市街地が建設される. ロシア人、ウクライナ人、サルト人が住む家畜の飼育が盛んな町となる. この頃はカザフ人は、ほとんどいなかった. その後、カザフスタン共産党の一等書記の名を取って「ミルゾヤン」、カザフスタンの民族詩人の名をとって「ジャンブール」、と改名するなど頻繁に市名を変える. 1930年代以降は、ドイツ人、チェチェン人、クラーク(自営農民、富農)などスターリンに「人民の敵」とされた人々の追放先となる. 1960年代以降は、化学工業を中心に工業化が急速に進む. 独立後、ヴォルガ・ドイツ人やユダヤ人だけでなくロシア人の多くも町を離れ、代わりにカザフ人の流入が続いている. 1997年、タラズの名に戻った.
地図 - タラズ (Taraz)
地図
国 - カザフスタン
カザフスタンの国旗 |
カザフスタンは中央アジアで経済的、政治的に最も支配的な国家であり、石油・天然ガスを中心とする資源に恵まれ 、中央アジアの国内総生産(GDP)の60%を生み出している. 国土面積は272万4900平方キロメートルと世界第9位 で、世界で最も広い内陸国であり、イスラム教徒が多数派を占める国としても世界最も広大かつ最北端である. 人口は約1900万人 で、人口密度は世界でも低い国の一つであり、1平方キロメートルあたり6人以下(1平方マイルあたり15人)である.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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KZT | テンゲ (Kazakhstani tenge) | ₸ | 2 |